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江波山気象館 メールマガジン
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2010年 10月号
メールマガジン版江波山気象館情報しおかぜ

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暦の話 その2〜日本の旧暦の仕組みと暦の移り変わり〜
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 日本で使用されていた太陰太陽暦である「旧暦」は、後で紹介するそれぞれの暦の種類によって、下記の基本ルールに、いろいろな例外を決めて作られていました。

 まず、新月になった瞬間(日常生活では、「新月の日」「満月の日」といった使い方をしますが、実際には月の満ち欠けは時間によって刻々と変化しているので、厳密にいうと「新月」や完全な「満月」は瞬間になります。)を含む日を、1日(ついたち:朔日)とし、新月になった瞬間を含む日の前の日までを、「1ヶ月間」とします。そしてその「1カ月間」が、何月になるのかは、二十四節気を利用しました。

 二十四節気 は「節気」と「中気」が交互になっているのですが、例えば、「中気」である立夏の含まれる「1カ月間」は4月、というように「中気」によって何月になるのかを決定しました。

 ところが、もともと、二十四節気は1太陽年を均等に24等分したものなので、月の運行をもとに作られた「1カ月間」とは日数のずれがあり、約3年に一度の割合で「中気」のない「一カ月間」が現れます。そこで、この「中気」のない「一カ月間」を閏月としました。(前の月の言葉の前に閏を付けます。例えば7月の次に閏月がある場合は閏7月です。)つまり、閏月のある1年は、1年=13カ月となります。

二十四節気の「中気」
雨水=1月、春分=2月、穀雨=3月、立夏=4月、小満=4月、芒種=5月、
夏至=5月、大暑=6月、処暑=7月、秋分=8月、霜降=9月、小雪=10月、
冬至=11月、大寒=12月。

 日本に暦が伝わったのは飛鳥時代の604年と言われ、日本最初の暦「元嘉暦(げんかれき)」が使われ始めました。その後、「儀鳳暦(ぎほうれき)」「大衍暦(たいえんれき)」「五紀暦(ごきれき)」と新しい暦が使用されましたが、平安時代の貞観4年(862年)から使われた「宣明暦(せんみょうれき)」は実に800年以上も使われていました。

 時代は江戸時代になり、貞享2年(1685年)に「渋川春海(しぶかわはるみ)」によって、初めて日本人による暦「貞享暦(じょうきょうれき)」が作られました。その後、「宝暦暦(ほうりゃくれき)」(1755年〜)、「寛政暦(かんせいれき)」(1798年〜)と変化しました。

 さらに、最後の「旧暦」となった「天保暦(てんぽうれき)」(1844年〜)では、天文観測の技術向上にあわせ、暦の正確さを追求するために、二十四節気を実際の太陽の動きに合わせて厳密に決める方法に変えました。そのために、二十四節気の「節気」や「中気」の間隔が均等でなくなり「中気」が2回ある「一カ月間」が現れるなど過去にはなかった事例が生じてしまい、基本ルールに様々な特例を加えて暦を作るといった非常に複雑な暦となりました。

 明治時代に入り、近代化を進めていくうえで欧米と暦を合わせようという流れにより、明治6年から、太陽暦(今の暦)を導入しました。この時に決めた暦の決め方では、新暦の閏年の計算方法が完全ではなかったために、明治31年(1899年)に閏年の決まりを追加しています。そして、明治43年以降、公式の暦から「旧暦」は完全に姿を消しました。

 現在、「旧暦」を管理している公的な機関はないので、今日が旧暦の何日にあたるかは正式には誰にもわかりません。カレンダー等に記載されている旧暦は、「天保暦」の計算方法を基に作られた計算方法で求められている場合が多いようです。