施設概要 旧広島地方気象台の歴史 収蔵庫

1879年 明治12年 1月1日 広島県安芸国広島区水主町(現在の中区加古町)の広島県庁内
に全国で最初の府県立測候所として広島県立広島測候所創設。
1日3回の観測記録は毎日郵便で東京気象台に報告。

1883年 明治16年 2月6日 郵送による観測報告を廃止。観測の都度電報により東京気象台
に報告。

1888年 明治21年 7月1日 毎時気象観測開始。中央気象台より非常時の電報の受け取りを
開始。

1892年 明治25年 12月31日 広島市大字国泰寺村(現在の中区千田町)に移転

1893年 明治26年 7月1日 広島地方の天気予報を開始。広島測候所内に予報信号標と暴風
信号標掲揚。予報は1日1回。

1894年 明治27年 9月16日 全国の気象電報を受信して天気図を作成。日清戦争で広島市に
設置された大本営に毎日提出(明治28年4月28日まで)。
広島測候所における天気図作成の始まり。

1928年 昭和3年 官庁、新聞社などへ毎日午前6時の印刷天気図を配布。
駅などにも掲示。7月からはラジオによる天気予報の発表を開始。

1934年 昭和9年 7月7日 広島県沼隈郡松永町に広島測候所松永臨時出張所開設。
(昭和12年9月10日広島測候所松永支所と改称)

1935年 昭和10年 1月1日 広島市江波町(現在の中区江波南町)に移転。(新庁舎竣工は
昭和9年)

1939年 昭和14年 11月1日 国営移管。文部省中央気象台広島測候所となる。

1941年
昭和16年 12月8日 太平洋戦争勃発により、気象報道管制施行。観測値、天気予報は
軍事機密となり、一般への発表禁止。(気象無線通報は全て暗号化)
(昭和20年8月21日終戦により、気象通報管制解除)

1943年 昭和18年 11月1日 運輸通信省に移管。同年11月15日広島地方気象台と改称。

1945年 昭和20年 5月19日 運輸省所属となる。
8月6日 原子爆弾被爆。(職員中に死傷者でる。庁舎、測器等も大きな
被害を受けたが、一般観測だけは継続)
8月11日 広島管区気象台と改称。中国5県の気象官署を管轄。
9月17日 枕崎台風襲来。原子爆弾による被害に続き深刻な打撃を受ける。
10月15日 明治27年に設置された呉鎮守府観測所が広島管区気象台
呉臨時観測所となる。(昭和21年呉測候所設置)

1946年 昭和21年 1月 天気予報や気象特報(昭和27年より気象注意報に名称変更)、
警報の業務復活。

1949年 昭和24年 11月1日 広島地方気象台と改称。大阪管区気象台の管轄となり、
山口県を除く中国地方4県の地方中枢となる。

1950年 昭和25年 6月1日 広島測候所松永臨時出張所は松永測候所と改称。
(昭和45年福山測候所と改称)

1951年 昭和26年 1月1日 構内無線鉄塔を利用した気象特報・警報信号標を設置。

1954年 昭和29年 11月1日 庄原および加計に雨量通報所設置。

1956年 昭和31年 7月1日 中央気象台は気象庁(運輸省外局)となり、気象庁大阪管区
広島地方気象台となる。
11月1日 雨量通報所は気象通報所になる。

1958年 昭和33年 6月30日 松永測候所尾道分室開設。(昭和36年5月31日廃止)

1961年 昭和36年 10月1日 広島空港(現在の広島西飛行場)が開港。
広島地方気象台空港分室設置。

1964年 昭和39年 1月1日 広島空港分室は岩国航空測候所へ移行。
昭和40年4月1日広島航空測候所となる。

1967年 昭和42年 9月 膳棚山気象無線中継所完成。VHF無線電話網展開。
(平成12年3月1日廃止)

1968年 昭和43年 7月1日 呉灰ヶ峯気象レーダー観測所業務開始。

1970年 昭和45年 3月31日 加計気象通報所は太田川気象通報所と改称。
(昭和50年3月31日廃止)

1973年 昭和48年 4月12日 大気汚染センター設置。

1975年 昭和50年 4月5日 庄原気象通報所廃止。

1979年 昭和54年 1月1日 創立100周年。

1987年 昭和62年 12月22日 広島市中区上八丁堀(広島合同庁舎)に移転。

1990年 平成2年 11月1日 旧広島地方気象台の建物を広島市に移管。
(保存活用のため)

1992年 平成4年 6月1日 旧広島地方気象台は全国初の気象専門博物館 
広島市江波山気象館として生まれかわる。

2000年 平成12年 7月25日 旧広島地方気象台(現在の広島市江波山気象館本館)
の建物が広島市指定重要文化財となる。

2001年 平成13年 1月6日 気象庁は国土交通省の外局となる。

2003年 平成15年 7月20日 広島市江波山気象館は広島市域の気象予報を開始。